現実逃避の行き着く先

「うわー、このお母さんすげー!」
そう思ったのは『そして生活はつづく/星野源著(文春出版)』を読んでいた時のこと。

耳鼻科の待合室で、ボクは思わずそのままつぶやいてしまいました。
周りからの「あん?」という視線がかなり恥ずかしい。
ボクはご多分にもれず花粉症で、特に「ヒノキ」に強く反応します。
3月中旬から症状がひどくなってきたので病院へ行くことにしたのですが、なんせ花粉症シーズンは耳鼻科にとって一番の稼ぎ時?ボクと同じように花粉症の症状に悩む人がいっぱいいることは容易に想像できたので、待ち時間が長引くことを覚悟してとりあえず買ったけど読んでなかった文庫本を一冊ズボンの後ろのポケットに入れていきました。
そして予想通りの展開。
でも、ボクにとって病院の待ち時間も大切なひとりの時間、嫌いじゃありません。

ところで、ボクが思わずつぶやいてしまったのは、こんな場面です。
著者の星野さんが過労で倒れた祭、親に看病にきてもらうのですが、その時、次のような会話がかわされます。

「過労?・・・・・・ああ。あんた、生活嫌いだからね」
「え?」
「掃除とか洗濯とかそういう毎日の地味な生活を大事にしないでしょあんた。だからそういうことになるの」

なんで”過労=生活が嫌い”と、そう考えが及ぶのか。
このあと、次のように続きます。

なんだかわからんがその通りだ、と朦朧(もうろう)とした頭で思った。
私は生活が嫌いだったのだ。できれば現実的な生活なんか見たくない。ただ仕事を頑張っていれば自分は変われるんだと思い込もうとしていた。

星野さんは仕事の達成感とは裏腹に、普通の生活に戻る時には「とてつもない虚無感」に襲われていて、そこから逃げるために仕事の予定をいれまくっていたようです。

なるほどねー。
これを読んだ時、「ボクも同じようなことしてるじゃないか」と思いました。
ボクは、わざとらしいというか慣習的な人付き合いが苦手で、いつもそこから逃げていました。
実は、今もそうなんです。
親戚付き合いや、社内政治などもそうですし、学生時代は「結果出せばいいんでしょ」とけっこう自分勝手な振る舞いをしていました。
自分の人生を振り返ってみて「辛い思いをしたな」と感じることが多いのも、根本の原因は全部そこにつながってくるんです。

逃げるということは、自分の頭からそのことを排除しようとすること。
そこにできた空白には、好きなもの、理想の自分が入る。
でも、実際の自分は何も変わっていないから、現実は何もかわらない。
努力していることはすべて虚像。
理想と現実のギャップは開くばかり。
そのギャップも、また何かで埋めないといけなくなって・・・
そういうこと?

このお母さんの言葉を読んだ時は、まさに身につまされる思いでした。

まあ、でも、嫌なものは嫌なんだけどね。

あなたはそんなこと、ありませんか?

あ、ごめんなさい。
お母さんの思考からそれてましたね。
それについては、また次回に。

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