下積み時代を考える

「下積み時代」

今、まさにそこうした状況にある人もいるでしょう。

ボクは、ステップアップ、キャリアアップ以外に「経験」を目的として、いろんなバイトをしたし、転職もしたので、そのたびにこうした時を一般の人よりたくさん過ごしてきたと思います。

あなたは、「下積み時代」と聞いて、どんな過ごし方を考えますか。

ボクの場合は、主に自分に注目したもの、たとえば「見識を広める」とか「スキルアップを計りたい」などに軸に置いていた時期が長くありました。
当時は、「自分を高めて、他者との競争力を付けたい」と考えていたのです。

でもこれ、今考えると青かったなと思います。

向上心を持って自分を磨いて他者との競争に勝とうとするのは良いのですが、結果成果が出ると、どうしても周りに対して態度が横柄になりがちです。
競争は、観客を喜ばせてお金を得たり、自分の殻を破るため自発的にするもので、他人に煽られたり、他人に力自慢をするためにするものではないと思います。
それを勘違いすると、そうした態度に出てしまうのです。
これが非常にまずい。

なぜなら、今の時代は平和で、集団の中でも外でも何らかのヒエラルキー(ピラミッド型の階層)が存在していてます。
大きなヒエラルキーの中には、それより小さいヒエラルキーが俵積みのように存在していて、上のヒエラルキーに入ろうとすると、どうしても下からの支えと上からの引き上げが必要になるように出来ているからです。
自分の態度が横柄になり、下からも上からも嫌われてしまったら、ほぼ、その後は無いでしょう。
せいぜい、今いるヒエラルキーの頂点が終着駅です。

ソーシャル・キャピタル―社会構造と行為の理論/ナンリン著, 筒井淳也,石田 光規,桜井 政成,三輪 哲 翻訳(ミネルヴァ書房)』では、上が下を引き上げる理由は「認知」であると主張しています。
下の人間が上の人間を上と認める。
その下の人間は、下の集団のリーダーが望ましい。
集団は、数が多ければ多いほどなお良し。
平和な時代では、これが上に上がるスタンダードな方法でしょう。

あなたはどうですか、こうしたこと、意識してました?

1年ほど前に読んだ週刊誌で、こんな本が紹介されていました。

誰も書かなかった自民党: 総理の登竜門「青年局」の研究/常井 健一著(新潮新書)

ライターの常井さんが、フリーランスになったばかりで思うように取材ができず、孤立感をいだきながら途方にくれていた頃に書かれたものです。
肩書も知名度もない三十代ライターが置かれた境遇と半ば強引に重ねながら着目したのが、有力政治家たちの無名時代というわけです。

自民党には「青年局」という組織があります。
その役割について、小泉青年局で進次郎氏の補佐役にあたってきた局長代理の熊谷大氏の言葉を借りて言うならば、「選挙で汗をかいて仲間を当選させる」ためのもの。

その、彼らの熱の入れように感じた「なぜ」を、取材と考察を交えて本書の中でこう記しています。

しかし、なぜ生活の足しにならないことでも熱くなれるのか。
やはり、政治家になりたい若者には、地方選の候補者としてお声がかかるチャンスがめぐってくるからだ。どれだけ熱心に活動したかは候補者の得票数で一目瞭然だ。結果を出せば、その地方組織で一目置かれる存在になりうるのである。市議会議員ならば県議会を、県議は国会を目指せるようになる。
<中略>
だから、青年党員たちはうるさ型の年長者ばかりの組織に腰を据え、家族や職場との折り合いをつけながらマメに会合に顔を出し、他人の選挙のために私生活を犠牲にしてまで駆けずり回るのである。

「青年部」のこうした活躍が、自民党の強さ、しぶとさを支えていると言われています。

方法論としては正解でしょう。
今の時代はこう歩むのがベターだと思います。

ただ、ボクやあなたが自分の置かれた環境でこうしたことを実践しようとした時に気をつけたいのは、こうした「引き上げ」が存在するか否かではないでしょうか。
自営業なら自分が関わっている集団、勤め人なら会社。
あなたは、自分が目指すところまではしごが掛けれそうですか?
そしてそこは、ほんとうに、自分が行きたい場所ですか。
そうでなければ、あなたの下支えは徒労に終わります。
早々に見限るか、事情でそれができないのであれば、違うヒエラルキーに関われるようすぐにでも準備をするべきだと強く思います。
ステレオタイプで行動することだけは避けたいものです。

自分を下支えしてくれる人たちも巻き込んでしまうのですから。

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