今も、世間の荒波に揉まれるボク

愛知県蒲郡市の八百富神社(竹島)で、人生航海の安全を祈願してきました(御朱印あり)

今年も卒業シーズンがやってきました。
社会人になって、新たな生活をスタートさせる人もいるかと思います。
これから本格的に襲ってくると思われる世間の荒波、上手にのりきれるといいですね。

ところで、すっかりオッサンになったボクですが、今でも定期的に荒れた波がやってきます。
どんなに人生経験を積んでも、苦手な波、克服できそうにもない波が、これでもかと押しよせてきます。
目指すところが明確なほど、それは辛く厳しいものになります。
柔軟に対応するしかないと思うのですが、自分ひとりのことですむならまだしも、沢山の人に悪影響をおよぼしそうなこととなると、そうカンタンなことではありません。

今、ボクを襲っている波は、「仕事の場面で、根本的な考え方が違う人達と同じ目標を目指さないといけない」というもの。

たとえば、「人を動かそう」とする時、あなたはどのような働きかけをしますか。
「人を動かそう」とする時とは、「仕事仲間に対して、自分の考え通りに動いて欲しい時」や、「取引先に自分たちの提供する価値を買って欲しい時」などです。

この動かし方、手段に対する方向性が違う人とどうやったらうまく折り合いをつけれるか。

ボクは、価値観とビジョンを示して共感しあえた人と一緒になってビジョンの実現を目指したいと考えているので、まっ先にそれを伝えようとします。
そのあと、相手と一緒にビジョンの修正や再確認を行い、実現にむけてお互いが対等な立場で計画建てて行動するという流れを理想と考えています。

ところが、自分の価値観やビジョンをあいまいにしたり、偽ったり、後出しジャンケンのようにこちらの腹をさぐりながらボクにあわせてくる人が多いんです。
気持ち悪いですよ、腹の中で何考えてるかわからない人って。
そういう人は、たいてい「人を動かすテクニック」にしか興味がないようです。
そりゃそうですよね、見せれる絵がないんだから。
それに、テクニックだけで人を動かそうとするということは、相手の人格を自分より下に見ているということ。これは家畜に対するマネージメント手段と同じ、都合よく利用してやろうと思っているだけかもしれません。

それはそれで仕方ないので「じゃあ、まあ、目標が一緒なので」となるわけですが、一緒に仕事をするうちに、どうしても同調できる部分と出来ない部分が出てきます。
価値観が違えば、手段も違ってきますから。

たとえば、次のような行動について。

  1. 理解してくれそうな人を効率よく探し、その人達にだけ働きかける
  2. そうすることのメリットや、そうしないことのデメリットを伝えようとする
  3. 規則や改正として強制する
  4. 人の生理的な反応(苦痛からのがれたい、快楽を得たい)を利用しようとする
  5. 情報操作(理屈をこねるのに都合の良い情報だけを用いて、都合の悪い情報は隠す)をする
  6. 金にものを言わせる(贈収賄)

これらは、「目標達成のためなら手段を選ばない」と考えている人ならば全部アリでしょう。
でもボクは、「4」はグレーで時と場合によりセーフ、「5」と「6」はクロ、完全にアウトという考えの人間です。
「4」をグレーとしたのは、その先に相手のメリットがあることが明確だと考えられるときに限って用いるべきと考えているからです。
利己的な場合はアウトです。

もし、あなたがボクのような考えの持ち主で、全部アリの人達と同じ目標を目指さなければならない時、それも、その人達がボクより権力のある人で従わざるを得ない状況だったとして、あろうことか「5」や「6」、場合によって「4」を選択したとしたらどうしますか。
従いますか、抵抗しますか。

今のボクは、そんな状況に直面しています。
そして、今のボクがとれる唯一の行動は、「ささやかな抵抗」です。
つまり、従っている振りはしているものの、心ここにあらず、チャンスがあれば表立って自分の考え通りの行動をしたい、いつもそう考えています。
でも、これではいつになったら目指すところにたどりつけるのかわかりません。
でも、絶対にたどり着きたいんです。

この波はいつかはのりきれる、そう信じたいのですが、そこは人間、今にも心が折れそうです。
先輩でも師匠でも見守ってくれる人がいれば自信につながると思いますが、周りを見渡してもそんな人は見当たりません。
だいたい、大の大人が人に「見守っていてね」なんて、はずかしくてとても頼めません。

そうしたら、ひらめきました。

「神様に見守ってもらおう」

これなら人知れず密かにできます。
それに、あの松下幸之助さんも、著書『指導者の条件』(PHP研究所)の中でこう言っています。

人間がほんとうに真剣に何かに取り組み、ぜひともこれを成功させたい、成功させねばならないと思う時、そこにおのずと何ものかに祈るというような気持ちが湧き起こってくるのではないだろうか。それは神仏に祈念するというかたちをとる場合もあろうし、自分なりにそれに準ずるものを設定して願うということもあると思う。そういうことは、一つの真剣さのあらわれであり、またそのことによってみずからの決意を高めるという意味からも、大いにあって良いことだと思う。

そうだよな。

じゃあ、ボクはどの神様にお願いしようか。
人生に押し寄せる荒波をのり越えていけるように見守ってもらうのにふさわしい神様っているんだろうか。
そう思いながら探してみると、いましたよ、それにふさわしい神様が。
しかもその神様、なんとボクの住んでいるところの鎮守(ちんじゅ)の神様でした。

その神様とは、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。

市杵島姫命は天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)が誓約(うけい)をしたときに、生まれた宗像(むなかた)三神の中の一神。
誓約とは、ことの真意を確かめること。
このいきさつを知るには、こちらのサイトがむちゃくちゃわかりやすい。

この神様は海の守護神で、航行する船の安全を祈った神様です。
「日本の神様」がよくわかる本』(戸部民夫著/PHP文庫)によると、昔、平家が崇敬した広島県の厳島神社や、福岡県の宗像大社の祭神で、全国に広がっている宗像・厳島系の神社はほとんどがこの両社から分霊されて祀られたものとのこと。
無理やりなこじつけかもしれませんが、人生を航海にみたてると、ふさわしい神様だと思いました。

地元の神社に行こう行こうと思いながらなかなか行けなかったのですが、たまたま仕事でおとずれた愛知県蒲郡市にある竹島の八百富神社の御祭神が市杵島姫命と知って、さっそく訪れてみることにしました。
日本屈指のパワースポットです。

当日はあいにくの雨。
これは「汚れているボクを洗い流そうとしている」のか、「水の神様だから存在を知らせてくれている」のかどっちなんだと思いながら、400メートル近い橋を歩いて渡りました。
朝早かったこともあり、境内はボクひとり。
そこで、神様を前に決意表明、「見守っていてください」とお願いしてきました。

島の周りは遊歩道になっていて、途中まで歩きましたが、天気が悪く足元も不安定だったので、この日は途中で引き返しました。
もっと海側までいきたかったけど、それはまた次の機会に。
近くには最近TVでよく見る「竹島水族館」もありますしね。

今回お参りしたおかげかどうか、その日、仕事で良い御縁をいただき、前途は明るそうです。

まあ、ボクみたいなオッちゃんでもこんなもんです。
笑っちゃいますよね。
でも、どんなにえらそうにしている人も、内心はみんなこんなもんだと思っています。

さて、とりあえず頑張っていきますか。

でも、このブログの更新が途絶えた時は・・・

沈没したんでしょうね、残念ながら(笑)。


御朱印
これから、パワースポット巡りをはじめようと、御朱印帳を購入しました。
記念すべき1ページ目は、こちらの八百富神社の御朱印になりました。

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